忘れられない英国紳士   -2010/10/20 

「なあ、お前のご両親は英語を理解できるのか?もし出来るなら俺はお前の両親に手紙を書きたい。
お前がこっちで元気にやってる、だから何も心配いらないと伝えてあげたいんだ」
 

日本の大学卒業後、私が海外第一歩を踏み出した街、イングランド中西部のレスター。
私はまず英語を学ぶべく、その街の学校へ通い始めた。

無類の酒好きの私は夜な夜な近くの「パブ」へ通っていた。
その事を知った私の学校のイギリス人先生が、「私の行きつけのパブがあるんだけど、どう?行かない?」と誘ってくれた。「行く行く」と喜んでついて行った。
さすが行きつけと言う事もあり顔なじみの人も多く、色んな人が声を掛けてきたり、先生が私を日本から来たと紹介してくれたりした。
「パブ」とは「パブリックハウス」の略で、イングランド各地域に点在し、その地域の人々の社交場、憩いの場であり、みんな楽しそうに談笑し合っている、日本にはちょっと見かけない雰囲気の場だ。
おいしいお酒がそこにあるのは当然行く理由だが、何よりその雰囲気がこの上なく気にいっていた。

そこで初老の紳士に出会った。彼の名はテリー。
たどたどしい、と言うか今ではチョット想像つかない程のひどい英語だったと思うが、そんな私の英語に根気よく付きあってくれた。
「名古屋から来た」と言ったら、「お~ナゴヤ~、ゲーリーリネカーがプレーしたチームのホームタウンね~」
その昔、名古屋グランパスエイトでプレーしたリネカーは、ここレスターが出身地で、地元の人々の誇りだった。
思いがけないリネカーのアシスト?もあり、私の周りに地元の人々の輪が自然と出来て行った。
その中でテリーが大きな声でこう言った。

「俺の子供達はみんなロンドンへ行った。実はたった電車で2時間の距離なのにとても心配で不安になったよ。お前はこんな遠い国に来てるんだろ、お前の両親の心配、不安は一体どれ程のモノか。もしお前の両親が英語を理解出来るなら、心配しなくていいですよ、あなたの息子はこっちで大丈夫ですよ、と俺が手紙を書いてあげたい。」

すると周りの人々も「それはいい!」、「テリー一人だけ書くより、みんなで書こう!だってその方が信憑性が高く、より安心できるだろ!」

私はその場で大声を出して大号泣した。
膝が折れ、立っていることすら出来ずその場に泣き崩れた。
人前であれほど見事に、そして素直に号泣出来た事は私の人生の中で後にも先にもあれっきりだ。

さっき会ったばかりの異国の人々のやさしさ、温かさが身に浸み、異国へ来た不安や日本を離れた寂しさの様なモノを吹っ飛ばした。

今でもこの話を他人に気安く出来ない。
だって今でも涙をこらえる事が出来ないから。
これを書いてる今だって。。。。。。

おわり

 


Tags│

チェックリストの回答はこちらから!
マネージングトレーナー 平松克理 プロフィール
マネージングトレーナー 平松克理 ブログ
お問合せ

Fan_ManagementのTwitter

▲このページの先頭へ